1997-06-16 第140回国会 参議院 臓器の移植に関する特別委員会 第7号
しかし、人が脳死状態に陥り蘇生限界点を超えたと判定されたときに、その患者が脳死状態からの臓器提供の意思を書面で表示していた場合に限り、その意思に従い医師が臓器を摘出することを法で認めることは許されるという意見を表明しています。日弁連は、それを法律で明確に規定することが必要と考え、死体からの移植と脳死状態にある者の身体からの移植を書き分けた、脳死を人の死としない臓器移植法案を提案してきました。
しかし、人が脳死状態に陥り蘇生限界点を超えたと判定されたときに、その患者が脳死状態からの臓器提供の意思を書面で表示していた場合に限り、その意思に従い医師が臓器を摘出することを法で認めることは許されるという意見を表明しています。日弁連は、それを法律で明確に規定することが必要と考え、死体からの移植と脳死状態にある者の身体からの移植を書き分けた、脳死を人の死としない臓器移植法案を提案してきました。
脳死に至るまでのいわゆる蘇生限界点については、救急救命医療の大きな成果の中で非常に大きく拡大している、そのことによって非常に大きな恩恵を国民が受けているというふうに考えております。
いわゆる今の医療、救急医療の日大の林先生の言われている脳の低体温療法で蘇生限界点が少しずつ動いているんじゃないかという指摘もございます。 それで、今後、脳死判定基準の柔軟な見直し、それから脳死判定の厳しい第三者機関のチェック等が私は必要になってくるのではないかと思うんですが、本法律案が成立するかどうかは別として、こうした動きについて大臣の御所見を伺って、私の質問といたします。
そういう考え方から今日の現代の医学の発達ということとの考え方で見きわめていかなきゃならないのは、蘇生限界点が一体どうなるか、こういうことだと思うんです。
植物人間だとか脳死状態、または脳低体温療法、蘇生限界点、不可逆的な状態である等々の言葉が多く論じられております。これは国民の耳に本当に理解されて入ってくるのかどうかということについて御意見を伺いたいと思っていたのでございますが、時間もございませんので、もっと大切な方に移らせていただきたいと思っております。
ただ、今もお話がありましたが、私の理解では、脳低体温療法についてはかなり適用すべき症例も限度があるというふうに聞いておりますし、そういう意味で、しかも脳低体温療法が蘇生限界点そのものをぐっと動かしたというふうには今のところ私は理解しておりません。 その辺についてはそういう留保をしておきたいと思いますが、基本的なお考えはおっしゃるとおりだと思います。
したがって、やがてはがんも克服されるだろう、こういうことになれば、当然蘇生限界点、これもなかなか一般的な言葉じゃないけれども、竹内基準も動くのかなと。では、竹内基準というのが見直されるということはないんですか。
そうしますと、人の蘇生限界点は医学の発達に応じてどんどん移っていく、動いていくという考え方とすると、今議論になっております竹内基準、脳死判定基準というのも当然動き得るという考え方ですか。
○政府委員(小林秀資君) 救急医療、蘇生医療の進歩によって蘇生限界点がだんだん後ろへ下がっていくのではないかというおただしでございます。
脳低体温療法によって蘇生限界点が延びてきた今日、望ましい臓器を確保するために救急医療が途中で打ち切られるおそれがあるのではないか、蘇生の可能性のある患者が助からなくなるのではないかとの指摘もございます。 現在、竹内基準が世界的に最も信頼できる基準であると言われていますが、蘇生限界点は医学の進歩によって今後とも延びていくものであると思います。
いわゆるポイント・オブ・ノー・リターン、既に蘇生限界点を超えて二度と生き返ることがない状態を指します。それに対しまして、医学・医療は蘇生限界点の拡大を追求し、患者の命を救うことが使命であります。そのような立場に立てば、脳死を人の死とすることで医学の進歩が阻害されるとはないと考えております。
次の御質問は、脳死判定基準・判定方法の確実性及び蘇生限界点の問題についてのお尋ねであります。 まず、脳低体温療法によって脳の蘇生限界点が延びてきていることは事実と認められるべきであり、医学の進歩、研究、発展に敬意を表するところであります。
ですから、例えば、医者の判断でこの人は蘇生限界点を超えたか超えないかというような非常に悩む部分があります。それから、いたずらに尊厳を損なってまでも治療を続けていくことに対しての非常な逡巡もあります。
その観点からいって、脳死、皆さんの言葉で言うならば脳死状態というのは、蘇生限界点を超えたところであるということを明確にしておられます。蘇生限界点を超えた状態であったとしても、皆さん方のお考えではまだ生がある、そのお考え、それは皆さん方だけではなくて、先ほどからも申しておりますように、三〇%という国民の方々は、脳死を死ではない、そういう感情的にお考えになっているということについては理解できる。
このことは、この委員会でも何度も問題になったわけでございますが、聴性脳幹誘発反応、全国の病院で九三%あるというふうな話もございましたから、やはりそういったこともきちっと、これは基本的にいよいよの専門家の竹内先生を初め診断基準を決められた方々が決める問題だというふうに思うわけでございますが、ポイント・オブ・ノーリターン、いわゆる蘇生限界点を過ぎれば、絶対にこれはもう脳死から戻ることはないのだ、こういった
安楽死の場合と脳死の場合は蘇生限界点が同じだと申しましたけれども、正確に言うと、私の言った趣旨は、もう生き返る見込みのないという意味で申しましたので、脳死の場合は蘇生限界点を超えている、しかし、安楽死の場合は蘇生限界点は超えてはいませんが、同じくもう死に行く人という意味で申しました。 失礼いたしました。
私のお聞きしておりますのは、違法性阻却論という言葉を使うということであるとするならば、当然、蘇生限界点を超えているところにおいても医者に対して医療継続の義務があるという立場に立つのだろうというふうに思うわけですが、現実問題として、蘇生の限界点を超えた、すなわちその患者さんは既に生の側に戻ることが不可逆的にないという状況が判断された段階において法的に医療継続の義務というものが医師にあるのかどうか、そこのところをお
それは、あくまでも健常時における提供の意思がある、それでそういう不可逆的な状態、蘇生限界点を超えた状態になれば摘出しても違法性を阻却されるという点で言っているので、治療義務との関係で違法性を言っているわけでも何でもありません。ですから、その点は違いがある。違法性阻却を言うからには治療義務があるだろうというふうに御質問ですが、そういうふうにつなげているわけではありません。
石川先生にお伺いしたいと思いますが、先生のお話の中でも、脳死というこの状況を、蘇生限界点を超えたところであるということは明快におっしゃっているわけでございます。
これと同じように、脳死状態という状態が、蘇生限界点を超えて確実に死の過程に入ったものと厳格な手続により判定でき、移植医療という目的のために、臓器を摘出されることで死期を早めても臓器を提供したいという人にその権利行使を認めることは、憲法上禁止されていることではないと考えます。
ただし、そのことについて、委員が御承知のように、救急救命医の社会的機能としては、もともと蘇生限界点を追求するというところに社会的任務を持っています。一方、臓器移植をする医師の側からするならば、自分の持っている移植以外に助からない患者を救命するということに対して、そのことを第一義的に考える。
脳死という状態が問題になってくるのは、いわゆる救急救命医療の中でレスピレーターをつけ、そしてそうした医療の、先ほどの話ではございませんが、蘇生限界点ぎりぎりまで探るという、そういう医療行為を続けた結果として敗北した場合に起こってくる一%の死について、脳死が現実問題になっています。
蘇生限界点というものはいかに拡大したとしても、やはり医療というものが死というものを前提にしているという状況の中におきましては、いわゆる蘇生限界にまで行った救急医療の敗北というものは当然起こり得ます。
ただ、それと同時に、そうした療法というのは、あくまで脳死に至る、つまり蘇生限界点をいかに延ばしていくかというふうなことでありまして、脳死というのがいかんせん厳然として存在する、しかも、まさに。
ということは、法律でどう扱おうと、法律がどう意味づけようと、それはもう蘇生限界点を超えているものなんだということで、まさに自然科学者であるお医者さんたちは、そこに対して、命を奪うのではないという認識で移植をしていただいていいのである。
それゆえに、救命医療にかかわっている医師としては、患者さんの命のある限り、その蘇生限界点を延ばそうということで必死になって努力いたします。また、あと数カ月の命に迫っている患者、移植以外に助けようのない患者、待っておる患者については、その患者を助けるために必死になって努力をする。
ここのところが、蘇生限界点といいましょうか、脳死に関する判断の非常に難しいところではないか。つまり、脳死自体は竹内基準で判定されるとしましても、脳死に至るプロセスをどういうふうに受けとめるかというところで明暗が分かれてくるということをこの現実は示しているのだと思います。
この療法によりまして蘇生限界点がやはりあちらの方へ伸びていくというふうなことであって、今の委員のお話のとおり、いわゆる稜線の向こう側に落ちるということは脳死に至るというふうなことでありまして、それをこの新しい療法によって相当引き延ばすことができるといいますか、むしろ、こちらの方向に引っ張ってくる可能性もあるというふうなことであろうかと思います。
○根本委員 確認的に質問いたしますが、要は、低体温療法、これは蘇生限界点のあくまで前の話だ、脳死状態になった状態ではない、こういうことですね。
救急医療は、大変な進歩の中で、先ほどの御意見の中にもございましたが、間違いなく蘇生限界点を大きく広げ、その中で医学の勝利というものに向かって大きく貢献していると考えています。しかしながら、残念ながら、救急救命医療の敗北としての脳死というものは、現実に起こってくるわけでございます。したがって、この両者が相反するものでないということは当然でないかというふうに考えております。
お手元に配りました資料の六枚目の、ポイント・オブ・ノーリターンというこれまで言っている概念が最近ではゾーン・オブ・ノーリターン、蘇生限界点から蘇生限界域というふうに変わってきているということを確認しておく必要があるのじゃないかと思います。また、脳死判定基準に基づけば、人の死の時刻を医師の判断で適当に変えられるということがございます。これは人の死と呼ぶべきではないのじゃないかと思っております。